神武天皇が熊野灘から那智の海岸に御上陸されたとき、
那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、
神としておまつりになったといわれています。
2004年 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登された。
本州最南端に鎮座する神社。
潮御崎神社の社領には、古くからの禁足地である「高塚の森」に、巨石遺跡がある。
世界遺産に登録された温泉で、日本最古の共同浴場と言われる「つぼ湯」がある。
開湯1800年で、源泉温度 90 度。
小栗(小栗判官)伝説があり、お湯で小栗が蘇生したといわれています。
海の神を祀る海浜の宮であったといわれているが、熊野信仰の発展とともに、
熊野神の御子神を祀る王子社として知られるようになったらしい。
日本全国の丹生都比売神を祀る神社の総本社である。
神功皇后(じんぐうこうごう)の出兵の折、丹生都比売大神の託宣により、
衣服・武具・船を朱色に塗ったところ戦勝することが出来たため、
これに感謝し応神天皇が社殿と広大な土地を神領として寄進されたらしい。
2004年 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登された。
熊野速玉大社の摂社となっている。
標高120m、538 段の石段の上にある。
巨石に覆われた社殿で ゴトビキ岩と呼ばれる巨岩がご神体。
神が降臨する神体山として崇められている。
九十九王子の中でも別格とされた五体王子のひとつ藤代王子の旧址で、
「藤代神社」「藤白権現」「藤白若一王子権現」などとも呼ばれました。
※全国の「 鈴木姓 」の発祥の地としても有名で鈴木屋敷などもある。
約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。
橋脚のように見えることから橋杭岩と呼ばれています。
弘法大師が、一夜にして立てたという伝説もあります。
本殿下に長方形の磐座があり、また本殿の背後にも巨石があり、
かつての巨石信仰の面影を残している神社。
約 1400年前頃の横穴式石室の古墳などもあります。
臨済宗妙心寺派の寺院。 戦乱時に破壊消失。
後に再建された時、村人達には天狗により寺が建てられたと信じられたことから
『天狗寺』とも言われている。 (天狗堂がある)
西国三十三所第2番札所。 救世観音宗総本山。
231段の急な石段があり、若い頃の紀ノ国屋文左衛門が
この石段にて 草履の鼻緒が切れた時、通りかかった
玉津島神社の宮司の娘「おかよ」が鼻緒をすげ替えてくれた。
これがきっかけで、二人は結ばれる。
後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、豪商となる。
西国三十三所第三番札所。 粉河観音宗総本山。
[説話] 河内国の長者・佐太夫の娘は重い病で苦しんでいた。
そこへ童行者が訪ね来て千手陀羅尼を誦して祈祷、娘の病は全快した。
長者のお礼を断り、娘の提鞘(さげざや、小太刀)と緋の袴だけを受け取り去った。
後に長者一家が捜しあて、あの童行者が観音の化身であったことを知る。
高野山真言宗別格本山。 (宿坊寺院)
本尊は愛染明王。 仏塔古寺十八尊番霊場。 西国愛染十七霊場番霊場。
尼将軍 北条政子が、夫・源頼朝と息子・実朝の菩提を弔うために建立しました。
2004年 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素。
新義真言宗総本山の寺院。
開山は高野山の僧で空海以来の学僧と言われた覚鑁上人(興教大師)
多くの学僧を抱える「学山根来」であったといわれています。
広い境内には日本最大の多宝塔(国宝)や、本尊 大日如来など
数多くの重要文化財などが有ります。
西国三十三箇所第一番札所。
如意輪観世音像は、仁徳天皇の時代(4世紀の頃)、インドから那智に渡来した裸形上人が、
那智滝の滝壺で見つけ、本尊として安置したと言われています。
2004年 ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登された。
本殿は和歌山県指定有形文化財である。
高原地区の産土神(熊野九十九王子:外)であり、高原王子権現とも呼ばれています。
樹齢1000年以上と推定される楠が境内にあります。
熊本県南阿蘇村にある宝来宝来(ホギホギ)神社の御神体(当銭岩)の分身がある。
宝来宝来神社は、宝くじが当たると言われています。
御神体(当銭岩)に「ホギホギ」と念じ祈願するらしい。
天台宗の仏教寺院。 本尊は釈迦如来。
一条天皇の勅願をうけて性空上人(しょうくう)により開山。
紀州藩主 紀州徳川家 歴代の墓所(国の史跡)と
三棟の国宝建築とがある。
断崖絶壁の景観地で エレベータにて地底36m下には
熊野水軍が船を隠していたという洞窟が広がる。
弁財天が祀られている。
大人(中学生以上)1300円 小人(小学生)650円